おたより
Q

キーちゃんの「叱られたくないけど叱られたい」って気持ち、どんなふうに理解してますか?

悪いことをしたら叱られる状態でありたい、しかし一回一回の叱られる体験はしたくない、みたいな感じであると理解しています。

「叱られたくない」というのは、実際に叱られるときの怖さや恥ずかしさや苦しさを避けたいという気持ちで、「叱られたい」というのは、悪いことをしたときにそれを見逃されず、ちゃんと叱ってもらえる関係の中にいたいという気持ちなのかなと思います。

だから、悪いことをしてしまったその瞬間には「叱られたくない」と思いながら、それとは別に、「悪いことをした自分が叱られないままでいるのは嫌だ」と思うこともできる。その二つは矛盾していません。

叱られる自分でありたいことと、そのとき叱られたいということは別のことです。

もう少し言えば、キーちゃんの「叱られたい」という気持ちには、自分の悪いところを見つけてほしいとか、見逃さないでほしいとか、自分が善くあるためのことを自分ひとりに任せないでほしい、みたいな気持ちも含まれているのかなと思います。

人は、自分がしたことを全部自分で見つけて、自分で正しく評価して、自分で反省して、自分で直していくこともできます。でも、ずっとそれをひとりでやるのは心もとないことです。

悪いことをしたときに、それを見ている人がいる。その人が、それはよくないことだと言ってくれる。必要なら怒ってくれるし、叱ってくれる。そういう相手がいる状態を求めることと、実際に叱られている最中に「嫌だな、怖いな、叱られたくないな」と思うことは、まったく別のことです。

「叱られたい」というのは、叱られる行為そのものを欲しがっているというより、「自分の悪さが誰にも見つからないまま通り過ぎてしまう世界にはいたくない」ということでもあるのかもしれません。

悪いことをしても何も言われないことは、楽ではあります。でも、それが安心かというと、キーさんにとってはそうではないのだと思います。見ていてほしいし、気づいてほしいし、だめなときにはだめだと言ってほしい。そういう関係の中にいること自体が、ひとつの安心なのだと思います。

そして、今叱られたいと思うことも、叱られる自分でありたいと思うことも、私にとってはどちらも等しく愛おしいです。